2014年年公開の映画「親愛的」。
事態の深刻さに対しこれまであまりクローズアップされてこなかった、中国の子供の誘拐を真正面から取り上げた映画として話題になりました。
目次
中国の子供の誘拐の実態
中国では子供の誘拐が多いと言われています。
多くが誘拐された他の土地へ連れて行かれ、売り渡されます。
そのような世相を反映してか、小学校までの子供はしっかりとジジババか親が登下校時についてきています。日本と治安が異なります。逆に日本へ一時帰国した時に小さい子供が単独で歩いているのを見るとこちらが心配になるくらいです。
幼児連れの場合、よく子供を見ておく必要があります。特に人が多い場所は要注意です。
義母が話していました。「日本人の母親は外で子供をしっかり見ないのね」と。
ある日突然、我が子がいなくなる。
国を問わず、子どもを持つ親にとってこれ以上の苦しみはないです。
きっと見ていて辛いストーリーに違いないと思いましたが、本当につらかった。
このテーマに切り込んだ陳可辛監督に敬服です。
※以下、映画「親愛的」のネタバレあります。※
映画「親愛的」のストーリー
舞台は深セン、小さな商店を営む陕西省出身の父親が主人公。
離婚して父親一人で息子を育てています。その5歳の息子が友だちと外へ遊びに出た際、友だちとはぐれて一人になったところを何者かに誘拐されます。
通報しても警察がすぐに動いてくれない
父親は慌てて警察に通報。
「あー、子供がいなくなった、ね。そんなのいくらでもあるよ。」とにべもなく。
失踪から24時間後でないと案件として受理しない
と言われ、すぐに捜索してくれません。遠くに連れ去られてはますます探すのが難しくなるにも関わらず、焦る父親を尻目に取り合いません。
後日、監視カメラにて、息子が連れ去られ、駅から汽車に乗りこんだところまでは分かるものの、それ以降の足取りはつかめず。
「あなたたちがすぐに捜査してくれれば良かったのに!」
と怒る父親に警察は
「これが規則ですから。子どもを誘拐された親は皆そう言いますが。」
とあまりにも冷たく回答。この警察官も人の親じゃないんでしょうか?私も苛立ちました。
その後誘拐の可能性がある子どもが見つかった際に決め手となるDNA 鑑定のため、親の血液採取を求められます。
中国にはこうした子を行方不明にした親から採ったDNAのデータが大量に保存されています。
息子が誘拐されたことで、父親は母親に連絡せざるを得ません。気まずい中、元妻と再会します。
母親は当然父親を責めますが、子供を置いて家を去ったことも事実です。
絶望の中の父と母。
警察が頼りにならない中、必死で子供を探す両親
マスコミ、インターネットなどを使い、子どもの行方の手がかりを探します。
「道ばたで物乞いをしている子どもをよく見てほしい。」「我が子でないか見てください。」と声を上げてお願いします。
誘拐された子が反社会的集団から物乞いをさせられる、これも中国ではよくある話。
子どもを探しているお知らせの最後には見つけてくれた人には必ず多額のお礼をします、と文言を添えて。
親の携帯番号も記載されて公表されます。
すると、それこそ全国から、お金狙いの詐欺の電話やいたずら電話がかかり、翻弄されます。
あなたの子どもがいる、と言われればどんな遠くへも出向いて行きます。時に命の危険があったりも。
ただでさえ、子供が行方不明になって心配で不安でたまらない中で見つかった希望なのに。こんな目に遭うなんて・・・。映画を見るのがつらくなります。
誘拐された・行方不明になった子供を持つ親のグループがある
その後父母は子どもが失踪、誘拐された親たちのグループへ入り、体験をシェアし、慰め、励ましあいます。
子どもの誘拐グループ団が逮捕された、となると大型バスで拘置所へ乗り付け、捕まった容疑者に子どもの写真を見せて我が子を見なかったか尋ねます。
でも、容疑者たちもここで供述しても自分になにも有利なこともない為、ろくに協力せず。なんの成果もなしに終わります。
失意の中、親たちは帰路に。そんな事の繰り返しです。
「子供が見つかった」という知らせが。
そんなある日、父親に電話が入り、子どもが見つかります。
見つかった先は安徽省の農村。
実に2年という時を経て子どもは親のもとに戻るも、既に育ての親を親と思っており、実の親との生活は馴染めず。一緒に暮らしていた妹とまた一緒に暮らしたいと父親に言って困らせます。
その妹もDNA鑑定の結果、育ての親との血縁が認められないことから住んでいた家を出され、安徽省から深センの孤児院へ入れられます。
連れ去った側の事情
子ども二人を誘拐したのは深センへ出稼ぎに行った男性。その妻は自分が不妊だと思っていました。男性は男の子を他の女に産ませた、と行って連れて帰り、その後女の子を工事現場で拾った、と言って連れて帰り、妻に育てさせました。
犬や猫じゃないんだから・・・さらった子供を妻に育てさせるその神経がまったく理解不能です・・・。でも農村では子供がいないことは村の中での自分の地位を危なくします。自己保身の意味もあったんでしょう。それに巻き込まれた被害者はたまったものではありません。
一人は拾ったとのことですが、以前の中国では子供を拾っても警察に届けず(警察も取り扱わない)そのまま自分の子供として育てても犯罪にならない時代もありました。
幸いにも、妻は夫が連れてきた二人の子どもを、愛情かけて育てていました。その後、夫は誘拐の事実を言わないまま死亡。これまで育ててきた子供たちは非合法に育てている事から、育ての母とは引き離されます。
妻は子どもが連れ去られると知って必死で抵抗したため、公務執行妨害で半年服役し、出所。
娘が入っているという深センの孤児院の娘に会いに行きます。
しかし、孤児院の規定により、この女性には面会の権利がなく、門前払い。
誘拐でなく、元々は捨てられていた子供のはず、前と同じように育てたい、と言うも法の壁でできず。
実の親に心を開かない息子。兄妹一緒に暮らすこともできない現実。
一方、実親の下に戻った息子は心を開かず。時々妹に会いに行ったりはできるものの、父親は妹まで育てる気持ちはなく、兄妹2人は離れ離れです。
息子母は息子の為にと、妹を養子にもらう事を考えますが、それは新たに再婚した夫に拒否され、離婚。
その事で息子の実母と育ての安徽母が法廷闘争に持ち込んで審理するも…
離婚すると養子縁組は不可能なため、頓挫。
失踪した子供を持つ親グループからの妬み
子供が見つかった実親も、なかなか心を開かない子供、子供捜索の仲間からの嫉妬に苦しみます。
また、子供が失踪した親の会リーダーの妻が妊娠したのですが、今後の検診、出産のための生育証の手続きをしに行ったところ、失踪した子供の死亡証が必要と。
一人っ子政策の関係上、子の妊娠出産においては結婚している事がまず条件。そして2人目の妊娠出産については細かな規定があります。
※映画公開当時はまだ中国は一人っ子政策施行中でした。
親としては子供は死んでない、いつか会えると強く思っています。死亡証を作るとなれば戸籍に死亡した旨の記載がされます。その後見つかったら戸籍の復活はできるのか、第一、親の気持ちとしては認めたくありません。
しかし子供の死亡証がなければ2人目の子供の生育証は出ないと。生育証なしには中国人は中国で出産はできません。夫婦にとって苦渋の選択です。
以前読んだ、莫言の蛙もそうですが、
この映画全体に
中国という国の特殊事情がギュギュッと濃縮されています。
だからこそ、陳可辛監督はこのテーマを題材に映画を作ったのでしょう。
また、彼の映画らしくシリアスな中にユーモラスさがあり、张艺谋監督のような、とてつもない絶望感にさいなまれるストーリーでもないです。
中国社会を知る上で非常に勉強になる映画でした。
やはり社会派映画に私は強く興味をひかれます。
視聴は百度にて「亲爱的 电影」で検索すると出てきます。
そして子どもの誘拐、人身売買は子どもを失った親、子ども自身、そして(ケースバイケースで、多くは同情に値しない場合が多いものの)育ての親も不幸のどん底に落ちます。また、最も憎むべきは人身売買ブローカー。
最近中国当局の誘拐への取り組みが本格化してきた
つい先日もCCTVのニュースで取り上げられていました。
↑2015年4月のニュースです
中国社会の注目が集まる中、当局も対策に動いています。いつか誘拐ゼロを目指して、と声を上げる警察幹部もいます。
これ以上不幸な子供や家族が出ない事を切に願います。