中国で感じた「男尊女卑」 - Axin(あしん)の日々徒然 in上海

中国で感じた「男尊女卑」

今回話すのは中国人と長く結婚して初めて分かった事の話。

六斤を出産したときはつゆほども感じていなかったことなのですが・・・

目次

義実家の希望は男の子の孫!意外と男尊女卑?

義両親は私が男の子を産むことを切望していました。

阿財の故郷の山東省の内陸部は重男軽女(男尊女卑)で有名。
普段生活している上で男性が女性をしっかりフォローしている印象を受けていたので気にしていなかったのですが、

産まれてくる子供の性別が男であること=家の名を残せる

という事は彼の地ではものすごく大きな意味を持っていたのです。

男の子を産む嫁の方が偉い!?

阿財の弟夫婦は早くに結婚していた今高校生の息子が一人います。
私と阿財が結婚した時にはすでに甥っ子が産まれていました。
甥っ子が赤ちゃんの時は赤ちゃんのお世話で忙しいんだな、と気にしてなかったのですが、
義弟奥さんは阿財の実家に来ても皿洗い一つしません。

六斤が産まれた後もそうでした。

後で知ったのですが

義妹が男の子を産んだから手伝わなくてもいいという暗黙のルールが存在していた

のでした・・・。

阿財曰く阿財の故郷で男の子がいない家というのは「可哀想な家」と見られると。
六斤がいるだけで私たち幸せなのに。すごい失礼極まりないです。
初めてそんな価値観に触れ、「え、私たち今まで可哀想に思われていたの?」とショックと共に「勝手にそんな風に思うな。」と憤慨。

悲しみに暮れていた時の義父の言葉

私が広州に住んでいた時、妊娠したものの初期で流産してしまいました。その手伝いで義両親が駆けつけてくれました。

そこまではよかったし有難かったのですが。

私も大分回復したのと義父の誕生日がちょうど滞在中にあったのでレストランでお祝い。

珍しく義父もお酒を飲んでいい気分だったんでしょうね。

宴席も終わりになってきた頃、義父は盃を私に向けて私に

「阿信にたった一つだけお願いがある。これだけ叶えてくれればいい。あと二人男の子を産んで欲しい。」と声高らかに言ってきたのです。

その時、「えっ・・・ええ!!ちょっと、お義父さん、何しに広州にいらしたのか知ってますよね・・・??」と思ったのですが

絶対にそんなの気にしているわけがない。

「はーい。がんばります♪」と言って盃を向けられた返事として(お酒の代わりに)お茶を飲みました。

その後まもなく義両親は山東へ戻っていったのですが

私にはあの時の義父の一言がものすごく心に刺さってですね。

ある日何かのきっかけで大爆発し、遂には私が阿財を殴りつけるほどの喧嘩に発展しました。

自分の中で何かがガラガラと崩れて全て夫にあたり、離婚騒動に

それまで義両親への不満は私の中で絶対不可侵的なタブーだったのですが、もう私がそんなのお構いなしに義両親への呪いの言葉をどんどん吐いての錯乱状態。
ちょうどその時私の友人が家に来る予定があったのですが、そんな事を忘れて大バトルで友人には大変な修羅場に立ち会わせてしまいました。

※友人は喧嘩している物音を聞いてその場を去った。

もう離婚するしないの騒ぎで、

最初阿財「六斤は連れていかないで欲しい」と言っていたのですが、私がギャーギャー言うのに耐えきれず

阿財「もう子どもを連れて出ていけ!!」と怒鳴り、

「おうよ!出て行くわ!」と応戦。

でも私たちの場合どうやって離婚するか分からない(日本でのみ結婚手続、中国で結婚登記していない)阿財の目の前で広州の日本領事館に電話して離婚の方法を尋ねました。窓口に離婚届を取りに行かねばならず、「アンタ行きなよ」「お前行け」で応戦になって平行線に。

その後喧嘩の場に居合わせた友人が私の気持ちをたくさん聞いてくれ、私も落ち着き・・・

阿財からは10日間くらい汚いものを見るような目つきで見られましたけれどね。

最後は仲直りしました。阿財からも忙しくてなかなか私を気にかけてやれずごめんと。

夫婦は危機を乗り越えたけれど、依然義父に対してわだかまりが

あの一件があって以来、私は阿財に義両親の不満を言っても感情的にならずに聞いてくれるようになったし(以前は不可侵タブー扱い)、結果オーライだったと思います。

しかし私と義父との感情の溝はできました。

豆豆を妊娠している間、性別はどっちだろうと思うたびに義父は男の子がいいと思うんだろうな、と。
それ以前に健康に生まれてくれるんだろうか、経過は順調か、お産は大丈夫か・・・と心配はつきないわけです。
なんてったって高齢出産&上海とはいえ海外出産。

豆豆が男の子と分かった時の率直な感想は「男の子でうれしい」よりも「心底ほっとした」、でした。ほっとして泣きそうなくらい。そしてその感情に私自身も驚きました。知らず知らずに長年の大きなプレッシャーになっていたんです。

別に名家でも王族でもないのにこのプレッシャー 笑 六斤出産後実に7年近くかかっての二人目出産でした。

阿財にもあった「男の子プレッシャー」

春節里帰りの時、義父はそれはそれはもう喜んでいて。豆豆をスター扱いして六斤を可愛がらなくなるかと心配していたのですが、そんなことなく六斤にもちゃんといつも通り可愛がってくれてました。そこは私の杞憂。

そして親戚一同の春節恒例食事会の際、阿財同世代の親戚で二人目を出産したのは我が家だけだったのもあり、義両親の面子も十分あって上機嫌。宴会の帰り道、車の手配がうまくいかず、私たちは歩いて帰宅したのですがその時の阿財があんまり見たことないテンションで酔っ払っていてですね。

ああ、この人も男の子を残すプレッシャーがすごかったんだ・・・

とようやく気付きました。酔っ払っている阿財見て私ちょっと泣けてきましたよ。私たち二人、これで男の子プレッシャーからようやく解放されたんです。

今も当時の心の傷は完全には癒えていませんが、義父には感謝しています。

今でも義父の言葉の事は時に思い出すとつらいですが、過ぎたことですし、そもそも義父は深い考えもなく発言しちゃったんだろうと思います。それは頭では分かっています。でも心がついていかない、やはり時間が必要です。
それを乗り越える力を日々六斤&豆豆からもらってリハビリ中といったところ。いつ完全回復するかは分かりません。今でも思い出すと心が痛いくらいなのでまだまだ時間がかかりそうです。

たぶんあの一言がなかったら私はここまで二人目出産をこだわらなかったかもしれない(もちろん義父の願い以外に私たち夫婦が二人目を希望していたというのが一番ですが)。
今は豆豆がいてくれて。六斤と豆豆が一緒にいる姿を見てこの上ない幸せを感じます。
だからその意味では強烈なあの義父の一言に感謝すべきかもしれませんね。

二人目の妊娠、出産、私は妊娠自体に時間がかかったので、子供の性別にまでこだわりはなくて、健康であればどっちでも~。と気楽に構えていましたが、豆豆が産まれて「男の子?え?上は女の子?よかったわね!」と事あるごとに言われ、そっと「やっぱり男の子がいいでしょ?」「男の子が欲しくて生んだんでしょ?」と聞かれる時もあり(年配者)、「うーん・・・」という気分になります。
「一男一女(男の子一人女の子一人)」が理想的な子供の組み合わせ、という考えがあり、私がびっくりする程の羨望のまなざしで見られることもしばしば。住むまで分からなかった中国の一面でした。

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『中国で感じた「男尊女卑」』へのコメント

  1. 名前:ree 投稿日:2017/03/17(金) 01:21:13 ID:89779371e 返信

    そうでしたか。
    阿信さん、大変だったね。

    私も前の結婚で経験ありですよ。
    次男だったけど長男がまだ結婚してなかったから、まだ妊娠しないのか?と結婚して4年間ずーーーーっと言われ続け、ま、離婚の原因の一つがそう言った事だったんですが、元夫は何も義両親に言ってくれなかったし。

    そして父ちゃんと離婚するしないも(笑)。
    屋根裏からスーツケースを下して荷物を詰め、飛行機の手配をする前になんとなく仲直りしましたけど。

    特に我々国際結婚で相手の国に住んでいると、環境から文化から違うので、それだけもプレッシャーになっているんですよね。

    • 名前:axin 投稿日:2017/03/17(金) 19:37:34 ID:ef19eb71c 返信

      reeさん、再婚されていたの知りませんでした。
      つらい事を乗り越えての今があるのですね。
      子どものことがこんなに大問題になるとは思いませんでした。
      結婚したら普通に授かれるとばかり思っていたので。

      離婚騒ぎもあったのですね!よかった~我が家だけでなくて 笑
      私もその当日の夜はホテルを予約していたんですよ!もう絶対顔を合わせるものかと思って。
      でも友人の勧めでキャンセルしましたが。

      他の事へのプレッシャーは皆無なのですが、殊に子供に関してはプレッシャーがかなりすごかったです。
      自分で思い通りにならないだけに。逆にこの問題が解決すれば他はオールオッケーなので(笑)今は本当にノビノビしてます。育児はこれからなんですけどね・・・^^;