先週末、義父が他界しました。
享年83歳。
義父は今月に入ってから市内の病院に入院していました。
朝、義弟がお見舞いに行き、会話をしていたところ、義父の反応がないことに気付き、病院の人を呼んで救命措置をするも永眠しました。
その日の朝、上海の私たちに義父の容態がよくないから早く帰るようにと義弟から連絡が来、大いそぎで鉄道の予約、出発の準備をしている中、訃報が入りました。
亡くなる際「苦しい」「辛い」といった言葉はなかったそうで、そこが悲しみの中でも安堵できる話でした。
取るものとりあえずで義実家へ向かいました。
義実家に着くと、既に葬儀用のテントが家の前に張られ、家の中には多くの親戚が集まっていました。
赤い新年の飾りは全て剥がされました。我が家も含め、今後3年赤い飾りを飾ることができないそうです。
義実家のある地域では葬儀は親戚の男性陣が中心になって執り行います。長男の阿財は喪主。その後葬儀が終わるまで怒涛の忙しさで私とろくに話す時間もありませんでした。
私の主な役割は豆豆と六斤を見ること。六斤はまだしも豆豆は全く事態がわからず通常営業のため、散歩などは必須。本来は長男の長男という事で豆豆が喪主の補佐的な役割も担わなければならないとのことでしたが、とても無理なので15歳の甥っ子が担当しました。
義母も何かと外出の必要があり、私たち親子3人が義実家で留守番の時間が多かったです。
植物を育てるのが好きだった義父。永年育てていた花はいつものように咲いていました。サンルームになっていて日当たりがよく冬でもよく咲いています。
葬儀を済ませ、私たちは上海に戻りました。
初七日だった昨日、我が家でも線香をあげました。
墓地の選定も終わり、昨日は墓石も立てたと義実家から連絡がありました。
今回初めて中国の葬儀に参加し風習の違いに驚き、中国人の死生観ってなんだろうと考えさせられたりもしました。
これから義父の命日が7日過ぎる度に弔いの儀式があり、5週目には私たちも再度義実家へ行く必要があるとのことです。
その話はまた別記事に書こうと思います。
ちなみに・・・
六斤は先週の金曜日から学校に戻ったのですが、週末の宿題+休んだ分の宿題もしっかり足され、日曜の夕飯前まで宿題に追われていました。さすがに宿題漬けの週末はかわいそうなので、昨日のお昼の後お友達に誘われたときは、「遊んでおいで」と数時間マンション内の公園で遊ばせましたが。
中国現地校、こういうときも容赦ないんだな、と実感しました・・・。
そうでしたか、大変でしたね。
お義父さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最期が痛みも苦しみもなかった、と言うのはよかったですね。